ついつい、ドラマ。

つい思ってしまう、つい考えすぎてしまう。ドラマを観て感じたことを書きます。

家族になりませんか。『恋せぬふたり』第一話【ネタバレあり】

NHKよるドラ『恋せぬふたり』第一話。

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世間一般に言われる、いわゆる「結婚適齢期」に当てはまる男女は、その世間からの目が本当にしんどい。

「結婚しているのか?」

「いい人いないの?」

「あの人なんてどう?」

実家、親戚、その周辺地域での居心地の悪さは尋常じゃない。そこに立っているだけで好奇の目に晒されている気分になる。

 

【※以下、ネタバレがあります。ご注意ください】

 

実際、結婚に興味がないわけじゃない。いい人がいれば考えるし、ドラマのように他人に性的興味を持てないわけじゃない。一緒に歩んでいってくれる人がいるならばそれに越したことはない。

出会いは確かにない。それが甘えだということも分かっている。お話をいただいて、相手と会ったこともあった。だからといって、年齢もぴったりだし、職業も申し分ないし、フリーだからちょうどいいじゃない、なんていうパズルみたいな話ではない。

 

人ひとりが、一生を添い遂げる覚悟が出来るかどうか、という話なのだ。

 

「恋をしない、つまり、一生ひとりで生きていくという覚悟をまだ持てない。」

『恋せぬふたり』の登場人物がそんなことを言っていた。

「恋をしないからといって、そんな覚悟をする必要もない。」

もうひとりの登場人物はそんなことを答えた。

 

そうやって、限りなく近い認識を持つ人に出会えたら、それは恋愛や結婚と同様に、奇跡のようなことだと思う。

彼らの物語はここから始まっていくわけで、ふたりの認識が近いものかどうかはこれからわかっていくことになるだろう。

 

それであれば、異性でも同性でも、友情や恋愛感情がなかろうと一緒にいるだけで良いというスタンスが続けば、結婚という形を取る必要だってない。もちろんさまざまな弊害はあるのだろうが。

 

ただ、このドラマの登場人物が自分のセクシュアリティについて考えるきっかけとなった出来事は、友人とルームシェアを始めようとしたことだった。

分かりやすく結論から言えば、裏切られてしまう。

「ここが私たちのお城なんだね」と新しい部屋を契約し、実家を出て、新しい家具を買った。そのタイミングで友人が元カレとヨリを戻し、白紙となってしまったのだ。ようやく手に入れられると思った居場所は、住みはじめることさえ叶わなかった。

 

結婚という形を取っても、そうでなくても、お互いの意志が変化してしまえばその関係は続かない。

 

それでもやっぱり、限りなく近い認識を持った人と出会ってみたい。

その出会いが紹介だろうと、お見合いだろうと、偶然だろうと、何でもいい。

だからといって、一緒にいられれば誰でもいいというわけじゃない。

認識が近いふたりで「家族になりませんか?」

そう思ってしまうのは、わがままなのだろうか。

 

このドラマを観て感じることはたくさんあった。

今クールの推しドラマになったことは間違いない。

特別お題「わたしの推し