味方に出逢える奇跡。『恋せぬふたり』第二話【ネタバレあり】
NHKよるドラ『恋せぬふたり』第二話
【※以下、ネタバレがあります。ご注意ください】
長女に結婚してほしい、結婚が幸せだと信じて疑わない家族。
家族側の固定概念も、わからなくはない。
自分たちはそうして幸せを築いてきて、私たちはそうして生まれて育ってきたのだから。
なれそめは?いつ結婚するの?もっとくっついちゃいなよ、と何も考えずぐいぐいくる妹。
恋愛しない人なんかいないんだから。男女が一緒に住んでいたら結婚するでしょう、と自分の価値観をストレートに押し付ける母親。
LGBTっていう、あれですか?と知ったような口をきいて一括りにする妹の旦那。
わかったからもう家に帰ってきなさい、と本当は理解できていないのにこの男に何か吹き込まれたんだろうとでも言いたげな心が透けて見える父親。
「こういう話の終わりが、『こういう人たちもいるんだなぁ』で終わらないのはなぜなんでしょう」
このやり取りを目の当たりにして、私も同じことを思っていた。
その短いやり取りですべてを理解してもらえるなんて思わないし、そんなことはありえない。彼女だってすべてを理解できているわけでもないし、伝えられてもいないと思う。
それでも、あぁそういう人もいて、それがこの子なんだ、そうなのね、くらいの感じで終わってくれていいのではないかと。
大切な人たちの前で自分らしくいたいと思うのは、わがままなことではないと思う。
「家族というか、『味方』という感じですかね」
それが最も腑に落ちる言葉だけれど、その言葉をおおっぴらに使うことは恥ずかしい様子だった。
そう、これからの人生に欲しいのは、味方なんだと思う。
家族という形にとらわれる必要もないし、恋愛とも友情とも違ってもいい。
もちろん世間一般に、友情が恋愛感情に変わって、結婚して家族になって、さらに家族が増えたりして、その人たちが一番の味方になってくれたら、そうなれたら一番自然な形なのだろうと思っている。
でもそうやって長年一緒の時間を過ごした家族=味方になっているのかと考えたら、やはり家族≠味方なのだ。だって、どんなに愛し合って、育ってきた環境が一緒でも、彼女の家族のように価値観の違いは必ず生まれるのだから。
「奇跡のように感じたんですよね」
味方になれるような相手と巡り会えることは、本当に奇跡のようなことだ。
現に私はまだ巡り会えていない。と思う。たぶん。
自分の価値観を誰かに話すことは、勇気のいることだ。
相手が本当のところどう考えているのかなんてわからないし、導入で共感できても話を進めていくうちにズレが生じてくるなんてことは往々にしてある。
何かのきっかけがあって、お互いの話をじっくりと確かめ合えることが出来て初めて、相手のことを理解できそうな兆しが見える。そのくらい慎重に、かつ大胆に、距離は縮まっていくものなのだと思う。
だからこそ、奇跡なのだ。
そのきっかけがどこにあるのか、どうしたら生み出せるのか。私も知りたい。
特別お題「わたしの推し」